2021年 3月 |
昨年の春、家内がホームセンターで三千円台の格安テントを買った事から、我が家のキャンプが始まりました。
春から9月末まで6回、場所は札幌近郊から、遠くは道東の屈斜路湖(クッシャロコ)まで行きました。
理由はもちろん楽しいからです。
青空の下でゆっくりと飲むビールは格別ですし、
日が沈み、焚き火と共に味わう食事とワインは、家のホットプレートで食べる焼肉とは全然違います。
この為なら、テントや炊事用具、寝袋等を運び、翌日に撤収する手間も気になりません。
すると家内は、2月の連休で冬キャンプに行こうと言い出したのです。
でも我が家のキャンプ装備では、翌朝には凍死でしょうと言うと、
ニセコ・真狩村の「焚き火キャンプ場」は、灯油ストーブ付きのテントに、
暖かい寝袋と毛布・枕がセットで、夕食と朝食付。
食器類も無料貸出しで、3月までは一人9,000円弱だと言うのです。
僕らは職業柄、ワインとグラス、チーズとパンは持って行きましたが、
何も持たずに身一つで行って、キャンプ体験が出来て、後片付けも不要でした。
家内は冬も焚き火がしたいと言い出し、センターハウスで薪を一束(700円)買うと、
焚き火台、マッチ、焚き付けを渡され、無事火も起こせて焚き火体験も出来ました。
ただ、火に手をかざしても外は正直寒かった。
食事はテント内で食べます。
夕食は雪見鍋で、スタッフの方がカセットコンロと鍋、食器類をテントまで持って来てくれます。
持参したワインは、三笠・山崎ワイナリーのピノ・グリ2019年。
ふくよかなコクと、爽やかな酸味が調和した味わいは、鶏肉と野菜のお鍋にピッタリでした。
このお鍋に入っていた豆腐がとても美味しかったので聞くと、
真狩豆腐工房の「すごい豆腐」という商品でした。
翌朝、うちのスタッフのお土産用に買いに行くと、
湧水がガンガン出ている水汲み場の横にこの豆腐屋さんはありました。
車にあった大、小、2本のペットボトルに湧水を汲んで飲むと、
澄んだ味わいで確かに美味しい水。
当然、この水を使って作られたお豆腐も美味しいわけです。
この水汲み場には車がどんどん来ていて、
僕ら以外は皆さん大きなペットボトルを20~30本も汲んで車に積み込んでいました。
また、今回のテント1泊プランには、近隣温泉のチケットも付いていたので、
初めての京極温泉に1時間半ゆっくりと浸かり帰路に就きました。
では最後の結論、今回の冬テントを皆さんにお薦めするかどうか。
実は同じ日、僕ら以外に二組の若いカップルも宿泊されていました。
僕らは広さ7畳程の4人用テントでしたが、
その二組はドームテントと言う宇宙ステーションの様な大きなテント。
こちらは寝袋ではなく、テント内にはソファーやテーブルと共に、
大きなダブルベッドが2台ドーンと設置されていました。
中の様子は、まるでホテルのスィートルームの様なお部屋です。
興味がある方は、真狩村の「焚き火キャンプ場」で検索してください。
冬に快適なのは温泉旅館でしょうが、
非日常を体験したい方にはここの冬キャンプをお薦めします。
冬の夜、ウイスキーやブランディをチビチビ味わいながら、
焚き火を眺めるのがカッコいいと思う方にお薦めします。
藤井 敏彦 |
2021年 2月 |
1月の中旬、知人でイラストレーターの松本浦(ウラ)さんの個展に行ってきました。
私が浦さんの絵と出合ったのは、朝日新聞の金曜夕刊に約4年連載されていた「さっぽろレトロ建物グラフティー」。
この記事は札幌のお店紹介では第一人者とも言える、和田由美さんの愛着が感じられる建物の紹介文と、
その横に写真ではなく、ほのぼのとした作風の浦さんによる建物のイラストが、
まるで決まり物の様にセットになっていました。
その頃私は、金曜の夕刊が楽しみで「今日はどこが出ているのかなぁ~」と気になり、
自然と足早になって帰宅した憶えがあります。
札幌はお隣小樽の様に明治時代の石造りで豪華な建物は少なく、
その多くが昭和の時代に建てられた街。
さらに建て替えやビル化も早く、古い建物はどちらかと言えば表通りではなく、
横町や中通りにひっそりと残っています。
今ではチョット哀愁がにじみ出ている、そんな建物を目ざとく探し出したのがこの記事でした。
私が思うにこの街が大きく変わったのは、1972年札幌オリンピックの前後だと記憶しています。
大きなスタジアム、地下鉄、高速道路、今まで東京にしかなかった物がどんどん出来て、
八百屋さんや魚屋さん、肉屋さんがスーパー・マーケットに変わり、
何でもかんでも古いものを捨てて新型にする事が当たり前と思われた時代でした。
そんな価値観が少しづつ変わって来たのは2000年以降でしょうか。
和田さんと浦さんのコンビは、レトロなお店だけでなく、
当時を思い出すような個人住宅と、両方でこの記事を作っていました。
掲載された多くの店舗ではオーナーや業種が変わり、
建物だけが昔の面影を残していることが多かったのですが、
個人住宅では長い年月を経て旦那さんが亡くなり、
子供さんが引き継いで今も暮らしている記事を読んでいると、何故か胸が熱くなりました。
その家に生まれ、育った家族にとっては、
家を捨てて快適なマンションに移り住むことは出来なかったのでしょう。
今回の個展は浦さんにとって初めての作品集で、出版発表も兼ねてのイベントでした。
私はその場で1冊購入し、ワインショップフジヰ店内のカウンターに置いてあります。
この本を何人かのお客様に紹介しましたが、札幌の方は皆さん見入ってしまいます。
それと南区在住の方は、1ページと、2ページの絵で心を鷲掴みされたように固まります。
真駒内付近の方にとって、エドウィン・ダン記念館は時計台の様な存在なのでしょう。
広い札幌、故郷と思える場所は人それぞれでしょうが、
札幌生まれではない浦さんが見つける風景は、
古き良き札幌へ時間を巻き戻してくれる力があります。
藤井 敏彦 |
2021年 1月 |
今月はイベント販売のお話。
当社休業日の12月13日に、私と家内は二人で江別蔦屋(ツタヤ)書店のイベントコーナーで実演販売をして来ました。
実演したのは、当社で2ヶ月ほど前から扱いを始めたENJO(エンヨー)社の製品です。
私が家で食器を洗うのは週1回の休みの日ぐらいですが、
毎日何度も洗う家内は洗剤と食器洗い用スポンジを色々試しています。
洗剤は環境に優しい物を選んだりしているようですが、正直、私はそこまで関心はありませんでした。
そんな中で、家内が知人から勧められたのがこのENJO社のクロス類。
まず驚いたのが、食器洗いも、風呂で体を洗うのも、女性のメイク落としも、全て洗剤を使わずに汚れを落とすのです。
汚れはこのクロスの細かい繊維に付くことでキレイになり、クロスの汚れが溜まって来ると、
安価な普通の石鹸でよく泡立てて洗う事で、汚れがリセットされるという原理なのです。
私はメイク落としの実感は分かりませんが、食器用クロスで家族分のグラスや食器を洗い、
そのまま鍋やフライパンを洗い、更にガス台の吹きこぼれた所を拭くと、さすがにクロスはチョット油っぽくなります。
そして、このクロスを石鹸で洗うと元通りになります。
私は仕事柄、ワイングラスの汚れは気になりますが、洗剤を使わずに「キッチン・デュオ・クロス」で洗い、
仕上げに「グラス・クロス」で吹き上げると、グラスは嬉しくなる程ピカピカになります。
蔦屋での実演中、男性には見向きもされませんでした。
家内は「メイクや食器が、水だけでキレイになります!」と呼び掛けをしていると、
時々「え、何、それ!」と興味を持った女性が寄って来ます。
すかさず私が「洗剤を使わずに汚れを落とす原理はこちらをご覧ください」と言ってプリントをお見せします。
写真には髪の毛の約100分の1という細さの糸が写っています。
「このとても細い1本の糸は、約1000本の細かい繊維を寄り合わせています。
この細かい無数の糸が毛穴に入って汚れを取ってくれるのです」と私が言って、
家内が女性の手の甲にファンデーションと口紅を塗り、
手の甲を「フェイス・デュオグローブ」で15回ほど優しく撫でます。すると、メイクが綺麗に取れてしまうのです。
女性は素直に驚く方と、「まだ残っているクレンジングと、洗顔用石鹸はどうするの!」と言う方に分かれました。
あと、おばあちゃんが「肌の弱い孫が使ったら、肌が良くなるかい?」と言われて、
洗顔用の「フェイス・デュオグローブ」を購入いただいた時に、
私も「お孫さんの肌が良くなるように」と思わず心の中で祈ってしまいました。
12時から17時までの5時間でしたが、はじめての美容部員体験は勉強になりました。
札幌のワインショップフジヰ店舗でも、家内がいる時はメイク落としの実演が出来ます。
私もグラスの汚れ落としは出来ますので、ご興味がある方は、ぜひお問い合わせください。
そして多くの方がENJO(エンヨー)社の製品を使うことで、大きく言うと地球のエコ活動になって行くと思います。
藤井 敏彦
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2020年12月 |
今月は親バカのお話。
いつもは休日が合わない私と息子ですが、11月の休みが偶然重なり二人で朝から車のタイヤをスタッドレスに交換。
二人だと1時間ちょっとで作業が終わり、その後は一緒に江別方面へ車で出かけました。
息子は調理師の資格が取れる高校を今春卒業し、就職先は市内の某レストランです。
今日は職場の仕入れ先である農家さんに行くと言うので私も同乗。
息子が好きなイングランドのバンド「オアシス」を聞きながら親子でドライブ。
この日は江別で3軒の農家を回りました。
息子は農家さんが出てくると、作柄や天候の事を話しながら職場で使う野菜を購入。
私は野菜の事はわからないので横にいただけですが、3軒で10箱以上の野菜を購入し、私が車の荷台に積んでゆきます。
家に居る時の私は、息子がすぐに風呂に入らないとか、
電気をつけたままで寝ているとかが目に付いて、小言ばかり言ってしまいますが、
この日息子の仕事ぶりを横で見ていると、農家さんと対等に話をしながら仕入れをしている様子は、
まるで私がワイナリーに行っている時と変わりません。
その後は仕入れた野菜を職場に下ろしてやっと一息。
私の父は小4の時に事故で亡くなった為、子供だった私が大人になった姿を父は知りません。
自分の子供が成長し、働いている姿を見るというのはこんなに嬉しい事なんだと気付き、
帰宅後、家内に「僕のとうちゃんには、この思いをさせられなかった」と話したら、
「ちゃんと天国で見ているから大丈夫!」と言われて少し安心し床に就きました。
藤井 敏彦 |
2020年11月 |
今春、一人息子が就職して、私たち夫婦はキャンプを始めました。
きっかけは家内が春頃、ホームセンターで3人用テントと焚き火台を共に3千円台で買って来た事から。
理由は妻が子供の頃の風呂は五右衛門風呂で、毎日、薪で火を起こすのが当番だったそうです。
そして今でも時々、ゆらゆらと燃える火を見たくなるのだとか。
私は屋外だったら煙を気にせず、ジンギスカンを思う存分食べられるだけでOK。
こうして二人の利害が一致し、寝袋は二つあったので、私と休日が合わない息子は抜きで出かけるようになりました。
今までも休日は、家で妻の手料理とワインがあれば十分幸せなのですが、
二人でテントを張って火を起こした後、椅子に座って空や夕陽を見ながらグラスを傾けていると、
何と言うか喜びとか満足感が全然違うのです。
外が明るいうちは、ビール(正しくは第三のビールで、ホワイトベルグ)と、
あられのひねり揚げ(オタル製菓の横綱)があれば、チープでも最高に幸せです。
そして日が暮れてくると、ジューという音と共に夕食が始まりワインの登場です。
私が屋外で食べたいお肉は、風味豊かな羊。
理想はフレンチ・ラムラックと呼ばれるあばら骨付きの部位が最高ですが、
無ければ生ラムを厚め(できれば厚さ8ミリ程)にカットしてくれる肉屋さん(私のお薦めは塩原精肉店)を探してください。
一般に成熟した羊肉は風味が強く、ボルドー地方産の赤ワインか、カリフォルニア等のフルボディ・タイプの赤が合いますが、
子羊だと風味も穏やかなのでピノ・ノワール種の赤でも楽しめます。
こうして厚切りの羊肉とワインを用意して、自然の中で焚き火を見ながらゆっくり楽しんでいると、
私の感覚ですが美味しさは2倍近くになる気がします。
ただキャンプは初心者なので、不備な面は多々あります。
枕は家から持参した方が熟睡できるとか、夜に使うライトをぶら下げる方法とか、実際にやってみて初めて気が付くことばかり。
でもキャンプはとても楽しくて、気付いた問題点は次回に改良すれば良いのです。
キャンプ場で周りをを見回すと、テントは有名メーカーの豪華な物ばかりで、
うちの様な3千円台のテントはいませんが、今の所は何も問題は無かったです。
興味のある方は来年に向けて、ご家族で、ご夫婦で、
あるいは今流行りのソロキャンプ(お一人様)でも、一度トライしてみてはいかがでしょうか。
藤井 敏彦 |
2020年10月 |
今春、一人息子が就職した為に、休日は夫婦だけで出かけることが増えました。
こうして9月の休日、家内と二人でモエレ沼公園に行って来ました。
前回ここに来たのは、まだ子供が小さかった10年以上前。
その時、私たちの目は子供しか見ていなかったのでしょう。
改めてゆっくりと公園を眺めると、全体で100ヘクタール以上という規模以上に設計者イサム・ノグチ氏の才能と、
その遺志を受け継ぎ20年以上かけて公園を整備、発展させて来た札幌市のエネルギーに圧倒されました。
前回来た時もモエレ山や、ガラスのピラミッドはありましたが、今思うに眺めていただけだったのでしょう。
今回、山を登ったり公園内を散策していると、大きな神の手のひらの中で、私はもてあそばれているような気持ちになりました。
公園内の山も、木も、土も水も自然の物ですが、植物が一糸乱れずに並んでいる様は雑木林とは異なり、
私の脳裏にはエジプトのピラミッドが思い浮かびました。
更に十数年前には無かった施設が幾つか増えており、多分、長期的な計画で今も完成に向けて工事が続いているのでしょう。
自宅へ運転中、札幌の市民税は有意義に使われているなぁと嬉しい気持ちになりました。
さて夕方になり公園を出て三角点通りから家に向かうと、見知らぬスーパーを発見して入店します。
ここ「スーパー・マルコ」は入口から活気があり、私はワクワクしながら奥に進みます。
そして見つけたのは生きの良いイワシが12匹以上入って98円!
前の晩に赤ワインを買っているので今夜はお肉と思っていましたが、今日はイワシのトマト煮込みにしませんかと私から提案。
始め家内は魚の下処理の数の多さに難色を示しましたが、代替のメニューが思い浮かばずイワシを購入。
夕食は安価な南イタリアの赤、サリーチェ・サレンティーノ・リゼルバ2014年と、
家内が作った、イワシのトマト煮を美味しくいただきました。
皆さんもモエレ沼公園で雄大なイサム・ノグチ・ワールドを体験していただき、
帰りにスーパーマルコでお買い物のドライブコースはいかがでしょうか。
そしてモエレ沼が気に入った方には、美唄のアルテピアッツァをお薦めします。
こちらは山の裾野で高低差のある敷地の中、廃校になった木造の小学校を利用し、
安田侃(ヤスダ・カン)氏の作品と自然とが調和した素晴らしい公園の美術館です。
藤井 敏彦 |
2020年 9月 |
例年の夏休みは妻の実家の東京に行くのですが、今年はコロナで帰省できず道東旅行に行きました。
そして酒関係で道東と言えば、厚岸(アッケシ)のウイス
キー蒸溜所。今年はここに行って来ました。
厚岸と言えばカキですが、私にとってはウイスキーの厚岸蒸溜所。
通常ここの蒸溜所見学は、厚岸の道の駅とレストランが入る公共施設「コンキリエ」が窓口となって行っていますが、
コロナの影響で中止のまま。そこで酒小売店の特権を使ってお願いをして、今回は例外的に見学を許されました。
当日は約束の時間より早めに厚岸に着き、前述のコンキリエ内の炭焼きの店で昼食。
そこはお店の入口にある水槽や冷蔵ケースの中から魚介類を選び、会計を済まして店内のテーブルに着き、
セットされた炭焼き台で自分で焼いて食べるスタイル。
通常のカキは炭火で焼き、地元でも貴重なカキの「カキえもん」は生でいただきました。
こうして腹ごしらえを終えて、昼から蒸溜所に向かいます。
実は今回、見学は認められましたが、コロナの影響で蒸溜器のある建物は外のバルコニーから窓越しの見学しか出来ませんでした。
まずは事務所に入り、製造担当課長の田中さんより説明を受けます。
この蒸溜所のスタートは、ここを運営する堅展実業(ケンテンジツギョウ)の社長さんがウイスキー好きであったこと。
そしてウイスキーの中でも特に個性の強い、スコットランド・アイラ島産のモルト・ウイスキーを目標に計画が始まりました。
目標が明確だったので、日本の中でアイラ島の特徴である3つの特性
(冷涼で湿潤な気候、スモーキーな香りの元となる泥炭(デイタン)層と豊かな水源、カキの産地)を
持つ土地を探しをして行くと、
必然的に厚岸に決まったそうです。
ウイスキー製造を始めた「堅展実業」は、日本の食品製造会社に様々な原材料を輸入販売しています。
厚岸蒸溜所の所長である立崎氏は、元々大手乳業メーカーで管理職を務めており、
その取引業務で堅展実業の樋田(トイタ)社長と出会いました。
そこで才能と情熱を合わせ持った立崎氏に、樋田社長は自身の夢であるウイスキー製造の話をして、
もし現実となったら手を貸して欲しいと依頼します。
しかしプロジェクトが動き出すと、50歳目前で大企業の管理職という立場、
東京から最北の地への単身赴任もあって、一旦は依頼を断ったそうです。
しかしゼロから蒸溜所を建てて、ウイスキーまで仕上げるような壮大な仕事のロマンを思うと心は次第に傾き始め、
最終的には家族も理解を示して転職を決めたそうです。
さて、日本の基準ではウイスキーに樽熟成期間の規定はない為、
蒸溜後の樽熟成が1年未満でもウイスキーを名乗れますが、本場スコットランドでは3年以上の樽熟成が必要です。
厚岸では自主基準で本国と同様の3年以上の樽熟を経て発売の予定でしたが、
地元の方々だけでなく多くのウイスキーファンより、途中経過の製品でも味わってみたいという声が高まりました。
そこでウイスキーと名乗らずに「厚岸ニュー・ボーン」という名で、
No.1から4まで仕込みや樽材を変えた若い原酒を随時発売した所、
大変な人気となり欧米のウイスキー専門誌でも90点オーバーの評価を受けました。
そして2020年2月に3年以上樽熟成を行った、
厚岸初のウイスキー規格が「サロルンカムイ(アイヌ語でタンチョウ鶴)」という名で発売されました。
この複雑で力強く、厚みのある味わいは非の打ちどころが無く、
サンフランシスコのワールドスピリッツ・コンペティションで最高金賞受賞もうなずけます。
しかし当社への割り当ては僅かで販売は出来ず、現在は店内の立ち飲みカウンターで試飲のみの形です。
当社の屋号はワインショップなので、ウイスキーにそこまで力を注がなくてもいいのではとも考えますが、
同じ北海道でゼロから始めた造り手を少しでも応援したいのと、旅行で来たお客様からの要望もあって続けています。
堅展実業の社長さんが、ウイスキーを味わい感動したことからこの事業が始まりました。
当社で味わい感動した方が、ニッカさん、厚岸さんの次の蒸溜所を作るかもしれないと思いながら、私は毎日仕事を続けています。
藤井 敏彦 |
2020年 8月 |
7月、私は積丹に行って来ました。
皆さん、この時期はウニ丼目当てと思うでしょう。
確かにウニは欲望の片隅にはありましたが、1番の目的は積丹スピリットの蒸留所見学です。
この会社は蒸留器を持ってスピリッツ(高アルコールの蒸留酒)を造っていますが、
このお酒に風味付けをする為のボタニカル(木の実や、ハーブ類)の多くを自社畑で栽培しているのです。
通常ジンの蒸留所では、高アルコール原酒に購入したボタニカルを数種類入れ、それを蒸留してジンを造ります。
しかしここでは、まず自社農場のボタニカル・ガーデンを拓き、
4年間かけてハーブ類を自社栽培と乾燥や熟成をさせて、
5年目の今年に蒸留器を設置して酒造りを始めました。
例えて言うならカレーを作るのに、クミンを始めとする香辛料の元となる薬草類を育て、
その葉や実を乾燥して、香辛料を作ってから、カレーを作り始めるような事です。
さらに通常のジンでは、ジュニパーベリー(西洋ねず)の実を主体(7~8割程)に、
更に10種類ほどのボタニカル類を加えたミックス・ハーブを作り、
アルコール原酒に入れて風味を付けてから蒸留します。
しかしここ積丹では、輸入に頼るジュニパーベリー以外で、
味わいの鍵となる地元のボタニカル(赤エゾ松の新芽、オオバコロモジ、キハダの実、エゾヤマモモ、他)を、
その各品種に適した方法で個別に蒸留し、
単一ボタニカルのジンを7種(試験蒸留では20種類を製造済)造ります。
その単一品種のジンを、ジュニパーベリー主体のジンにブレンドする方法で製品を造ります。
分かりやすく言うと、全部のハーブをごった煮にせずに、
各ハーブのエッセンスを作り、それを香水のブレンダーと同じ手法でお酒に仕上げるのです。
こうして出来た積丹ジン「火の帆(ホノホ)・KIBOU(キボウ)」を味わった時、
私はジンというカテゴリーを超えた、全く新しいお酒の誕生を感じました。
フランスかぶれ的に言うと、命の水「オー・ド・ヴィー」か、
森の精「エスプリ・ド・ラ・フォレ」といった感じでしょうか。
「急がば回れ」と言う言葉は知っていても、実際には中々出来ない現実の中で、
こうして手間と時間をかけて造られたお酒には凄まじい力を感じました。
さて、虫に刺されながらハーブ農園を見学し、
試飲を終えて蒸留所を後にした私と家内は、
10年以上前に宿泊した「なごみの宿いい田」さんに向かいました。
積丹スピリットの社長さんに近所でお薦めの宿を伺うと、
「いい田」を紹介されたので今回も予約を入れました。
あとはお風呂に入って、ごはんを食べるだけ。
ここは民宿的な宿ですが、料理が凄いのです。
ススキノの和食店で修業された息子さんが作る魚介のコース料理、
そして2色のウニはその甘さと美味しさに私と妻はしばし無言で食べ続けました。
事前にワインの持ち込みをお願いして、持ち込み料を払い、グラスも持参しました。
持参したワインは白がドイツのリースリング種のトロッケン(辛口)タイプと、
赤は少し熟成したカリフォルニアのピノ・ノワール種。
始めはこの料理には白が合うとか、赤の方が、、と話していましたが、
正直、ウニが出て来た後の事はあまり覚えていません。
とにかく今の積丹には、私の心を狂わす物がありました。
時期は限られますがウニ。
そして、おばあちゃん家に泊まった様なしつらえと、素晴らしい食事の「いい田」。
更に、新しい積丹産のジンは9月末頃には当社に再入荷する予定です。
私が命の水「オー・ド・ヴィー」と感じた、強烈で風味豊かなスピリッツを味わってみませんか。
藤井 敏彦 |
2020年 7月 |
今月は音楽の話。
私は流行りの音楽を聴くのが大好き。
中学の頃に流行っていたフォーク・ミュージックから始まり、
ロック、ブルース、ソウル、ジャズと、節操なくカッコいいと思うものを聞いて来ました。
そして今の私のお気に入りは「クオシモード」と、「インディゴ・ジャム・ユニット」で、
共に今は解散した日本人のジャズ・ユニットです。
2つのグループは共にメンバーは4名で、ピアノ、ベース、ドラム、パーカッションという構成。
特にインディゴの方は、この4人が自身の楽器で戦うように、他のメンバーと応戦を繰り広げ、
もう一方のクオシモードはバトルをしながら、メロディも重視といった所でしょうか。
それでもこの2グループ一番の見せ場は、ドラムとパーカッション二人の打楽器による応戦です。
ただ、誰もがこの音をカッコいいとは思わないようで、
家内と二人でドライブ中に私がこの2グループのCDをかけていると、
「聞いていると、何か急かされているような気持ちになるので、止めて!」と言われてしまいます。
こう考えると家内とは映画の趣味も、音楽も、食べ物も、
突き詰めると全ての好みは違っていますが、今のところは夫婦を続けています。
子が「かすがい」なのでしょうが、息子は息子で映画はあまり好きではなく、音楽の趣味も全然違います。
でも考えてみたら私の両親も全く好みは別でしたから、
何とか妥協点を探りながらでも一緒に暮らすのが家族なのかもしれません。
無理して合わせようとはせずに、お互いの個性を尊重しながら家族を続けて行く事こそ、平和の第一歩かなと思います。
藤井 敏彦 |
2020年 6月 |
今月は息子と車のお話。
39歳でやっと結婚が出来、42歳で息子が生まれた晩熟の私(笑)。
その息子も18歳になり、遂に車の免許を取りました。
今、私の車は初期型の古い日産ノートでオートマですが、前の車は「おフランス」製のポンコツ・マニュアル車。
「男ならマニュアルだ!」という親父のたわ言を聞いてくれ、試験場がコロナ閉鎖になる目前で免許を取りました。
例えば自動車保険。
今まで事故もなく、車も古い為に安かったのですが、
30歳以上の条件から、18歳でも保証する「年齢制限無し」になると、保険料は2倍以上!
そして車の前後には、初々しい若葉のマークが付きました。
さて私にとって最初の車は、1980年頃会社で買ったスズキ・アルトで、価格は最安値の全国一律47万円。
当時、フジヰは地下街ポールタウンにあり、店頭販売だけの酒屋でした。
その頃、軽自動車の価格は60万円以上でしたので、フジヰが配達用に買える車はアルトだけ。
ペナペナなトタン板で作ったような車体は550kgと軽く、
2サイクル3気筒のエンジンは550CCでしたが低回転からスムーズに吹け上がり、
板バネでリジット・サスペンションのリアがピョンピョンと跳ねながら走っていました。
話は戻って息子の話。
運転はビュンビュン飛ばす私と違い、息子は静かでスムーズなスタイル。
私が助手席でツベコベ言っても、マイペースで運転しています。
今乗っているノートは2005年車ですが、
ワインを扱っていると感覚がズレて05年産はそろそろ飲み頃と思って、私はまだまだ乗るつもり。
息子の車の好みは分かりませんが、私は61歳になっても二人乗りのスポーツカーに憧れる永遠の車少年です。
藤井 敏彦 |
2020年 5月 |
今月は何を書こうか?
毎月の締め切りが近づくと、私の頭の隅にはその思いが潜んでいます。
ただ今月は、「コロナの事だけは書きたくない!」という気持ちが大きくなって来ました。
今までの我が家では、息子がつけなければテレビは消えていて、
1日に1度もテレビを見ずに過ごす事がよくありました。
でも今日の感染者は何人か?
ダイヤモンド・プリンセス号は?
東京オリンピックは?
志村けんが、と毎日、毎日、新たなニュースが入ってくると、
NHKニュースから他局のニュースへと、どんどんチャンネルを変えて見入ってしまいます。
そんな状態が1ヶ月以上も続いたせいで、今うちのテレビはずっと点きっぱなしです。
家でも、職場でも気を使い、手洗い、マスク、外出は三密を避けて行動していますから、
もうテレビのニュースは止めて、翌朝の新聞でいいんじゃないかという気になってきました。
もちろんテレビが悪いのではなく、ウィルスや病気が敵であって、役所や医療機関の方は戦い続けています。
でもせめて仕事を終えて家にいる時は、コロナのニュースは止めて、
好きな映画を観たり音楽を聴いたり、ちょっと美味しいものを食べたりして、
これから私はリラックスしたいと思います。
そして翌朝から、また仕事と共にコロナと戦いましょう。
このメリハリがあれば、長期戦になっても頑張り続けることが出来そうな気がします。
敵の脅威には、恐れるだけでは勝てません。
緊急事態の中でも喜びを見つけて、それをご褒美に一日一日乗り切って行きたいと思います。
あ、やっぱりコロナの話になってしまいましたね。(笑)
藤井 敏彦 |
2020年 4月 |
今月は当然ウィルスのお話。
世界中の人間を不安に駆り立てる事が、これほど容易に出来るとは驚きでした。
中国で新型コロナウィルスによる肺炎が増え、同じ症状の患者が韓国と日本でも見つかる。
間もなく欧米へも飛び火が始まる。
日本では手洗い、マスク、外出を控える等の呼びかけに、
多くの市民が直ぐに対応した事の結果でしょう。
日本人はお上からの通達に、一致団結するスピードが速く、
今回はそのお陰で、発症地に近かったのに、患者数の増加が比較的緩やかだったのかもしれません。
ニュースで諸外国の患者数の増加を毎日見ていると、なかなかヤルナ日本人と思ってしまいました。
しかし、これは我々日本人には絶対出来ないというニュースを見てしまいました。
患者が急増したイタリアで、自宅待機をしていた市民が、
バルコニーや窓から国歌などの歌を歌い始めたのです。
1軒が始めると、アパートやマンションの窓がどんどん開き、家族が集まって歌い始めます。
ベランダに立ったお母さんは、台所から持って来たフライパンとナベ蓋をぶつけて伴奏をしていました。
私も築38年のマンション(約200世帯弱)に住んでいますが、自分から窓を開けて歌おうなんて思いもしません。
更にこの歌声はお隣フランスにも飛び火したそうで、
夜になると最前線にいる医療関係者に感謝をしようと、アパートの窓から歌やエールを送り始めました。
同じ状況下でも国民性の違いをまざまざと見せつけられた思いです。
仕事より日々人生を楽しむことを大切にする。
食べて、歌って、毎日の生活を楽しむのが人生のすべて、
こんな国民性の人々がワインを造ると、理論を越えた味わいが生まれるのかもしれません。
藤井 敏彦 |